【雑記】
■出発
カメラのレンズを2本に絞り、食料をきっちり計算し、ランタンをやめ酒を一滴も持たずにパックした荷重は35`。
これなら行けるが、肩ひもの付け根がザックの中心よりかなり下になっていて重心が高い。格好も悪い。
日高主稜線を単独で行くのに力量不足は明らか。神威JPまで行き、主稜さえ見ることができれば成功というところ。不安に負けそうになりながら登山出発点へ向かう。
日高小屋(?)と呼ばれるロッジ風の最終民家まで除雪される。ここに車を置く。
2人組の先客がいた。
単独行ではなくなった無念さより、安堵の気持ちと登山技術などを勉強できる事の喜びが明らかに大きかった。
20年ぶりの小雪とかで、「北海道の山と谷」で"1day"となっている林道を半ばまでツボ足。以後スキーでも、ラッセルなしで軽快に進む。
これなら案外…、と調子に乗っていた。しかし…
■ブッシュ
尾根にはほとんど雪がないので木材搬出のためのブル道跡を使う。
まるで締まっていない雪と"10年もの"くらいの元気良いブッシュに泣かされる事になる。
2日目がさらにひどい。わずか500mあまりの標高差に丸1日を費やしてしまった。
■停滞
12月30日から31日にかけて北海道は大荒れとなった。
日高山脈の十勝側では、30日夜半頃から強風となり、31日午前中まで轟音をとどろかせて私の不安をあおっていた。しかし、まだ樹林帯の途中であった事もあり、テントの中は割と快適だった。
31日の夕飯はインスタントのそば。明けて1月1日の朝は雑煮を食べる。
しかし大晦日も新年も実感は沸かない。とにかく稜線を目指す。
とはいえ、この尾根の登高に時間がかかりすぎた。
予備日を使い果たした事と、同時に予備食も使ってしまった事で急に泣きが入った。
■稜線へ
初日からずっとご一緒させていただいた芦別と美唄のお二人は、ポロシリアタックの予定を変更しエサオマンを踏んで札内から下りると言う。いっしょにどうかと誘われるが、指先の極軽い凍傷も含め、もう気持ちが前に進まなかった。
神威岳を踏んで引き返す事を決め、そう伝えた。
我々が停滞していた31日下から上がってきて、神威JP手前までキャンプを進めたパーティーのトレースを探しながら同行してもらった二人が稜線を目指す。
頭ではラッセルを買って出たいと思っているのに、何か力が入らない。
結局二人に何とかついていくのがやっとの状態で、憧れの日高主稜線まで運び上げてもらう事となった。
体力の問題ではなかった。気力が尽きたようだ。
緊張が解けてしまった。
雪が少なくダケカンバが黒い枝を張り、雪庇もほとんど出ていない稜線は春山のようだ。
主稜線の中でも広いところのようで、恐怖はほとんど感じない。
風があたる頬は痛いが、大した物ではない。
ここまで連れてきていただいたお二人に感謝の気持ちを伝え、記念写真を一緒に撮らせてもらってお別れした。
■一人の稜線(雪洞)
ついに最終日、日高の稜線で一人になった。
時間はある。のんびりと、一人には大きすぎる穴を掘る。
雪洞は快適だが、屋根が落ちたらどうすれば良いのか、案じ始めるときりがなくなった。
夜寝る前にトイレを、と思い外に出ると快晴の空に月が輝いていた。
南へと延びる稜線には、エサオマンの威容が浮かぶ。
白黒半々の稜線では迫力が足らないが、それでも興奮した。
明朝の撮影に期待が膨らむ。早々とシュラフにもぐり、明日に備える。
■撮影
いつも出足が遅い私だが、日の出1時間前には撮影に出られる準備が終わった。
意気揚揚と穴から踊り出てみると、ガスの中だった。
ゆっくりとパックし、下山をはじめる。
道南の1,000m以下でも見られそうなダケカンバの樹氷の向こうに、稜線がかすむ。
せめて1枚くらい撮りたい。ガスの切れ目を待ち、何とかシャッターを切る。
それが終止符となった。
■充実の帰り道
同じ道を下る。先日の荒天でそこそこ積雪があった。
しかしスキーを使えるような感じではなく、先行者もワカンかツボでラッセルしていた。
一人ならかなり切ない目にあったことだろう。ありがたくトレースを使って下りた。
1,400mと1,120mの尾根合流点はルートファインディングを確実にしたいところだが、先行のトレースがあるので何も考えずなぞる。
ブッシュはうるさいものの、下山後の食事とビールを思えば足取りは軽かった。
■ルンペンストーブの小屋
結局陽が沈むまでに戸蔦別ヒュッテにたどり着く事ができた。
小屋のルンペンストーブでヘタヘタのシュラフを干しながら、10年ほど前から置かれているという3冊の思い出ノートを読破した。
いろいろな人がいろいろな思いで、いろいろな山旅の前に後にこの小屋を訪れたのを読んでいると、一人きりの小屋が寂しく感じなかった。
いくつもの人との出会いや別れを通して、21世紀最初の年から1人で山を歩くようになり、ついにここまで来ることができた。
これはなんとも静かでとても深い実感だった。
一皮むけた気がした。
帰宅して数日。軽い凍傷で、手指の皮もぺりぺりとむけてきた・・・。
〜Special Thanks〜
伊藤さん 喜多さん どうもありがとうございました。
エゾ山岳会と釧路労山のかたがたもラッセルありがとうございました(^o^)/~。
平成14年1月
伊藤 研吾
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