おわりに

 はじめでも書いたように、言ってみれば、この卒論は自らの「ホームタウン」を恵み野という地域に求める動機で取り組み始めました。しかし、卒論に向けて様々な活動をおこなっているうちに、いつのまにか札幌圏全体が私のホームタウンなのではないかと感じるようになっていきました。このことは定義を決定した後で気付いたのですが、考えてみると本論で定義した札幌圏内自治体の5市のうち、私は4市に住んだことがあったのです。それも江別は大麻、石狩は花川、恵庭は恵み野、千歳は長都というように見事にニュータウンに居住していました。知らず知らずのうちに、私が札幌圏のベッドタウンを“ホームタウン”にしていたことを、この卒論は気付かせてくれました。
 本論の最後にも書きましたが、現在の恵み野は、新しく家が建つ余地があり新しく若い人々が入ってきている一方で、その誕生から20年経って、社会的にも文化的にも街並みとしても成熟していると思います。これからのことを思うと、ひょっとすると、恵み野にとって今が“最も良い”時期なのではないかと考えることすらあります。ですが、私自身は恵み野の将来を必ずしも悲観している訳ではありません。というのも、現在、日本の街づくりは、市街地を拡大していく「都市化社会」から既成の市街地を重視した街づくりをおこなう「都市型社会」へと向かう大きな転換期にあると言われています。恵み野は、住民の手で既に都市型社会へとの移行を完了したと感じるからです。そして、住民の手で街づくりがおこなわれている現在の恵み野は、たとえ人口の伸びが止まっても高齢化が進んでも、それに対応した街がつくられていくと思います。
 一方で恵庭市全体では、まだまだ開発がおこなわれています。都市型社会に向けて恵庭駅周辺の再開発事業が進んでいるほか、国道
36号線のバイパス沿いには新たに住宅団地が造成されている最中であり、JR千歳線をはさんで恵み野の反対側の西島松地区にも開発計画が持ち上がっています。また郊外型大型小売店も進出し、そこには温泉施設があり、シネマコンプレックスが今年中に営業を開始するなど、大型の複合的商業施設が建設されつつあります。景気の後退から分譲が進まなかった工業団地の第2恵庭テクノパークでも、昨年の道東自動車道一部開通によって恵庭が道央自動車道との接点となり、交通アクセスの良さがさらに進み、企業の北海道の流通基地となることを期待された分譲が進んでいます。このようなことから恵庭市の人口は今後も増加していくことが予想されていますが、長沼町・早来町などが恵庭・千歳のベッドタウン化しているなど人口の玉突き現象が起こっていて、千歳・恵庭で新たな圏域が形成されつつあります。
 札幌圏の状況をみると、依然として人口増が続いています。南幌町や当別町などに、その圏域を広げながら、江別など旧来の圏域にも新たにベッドタウン造成が進んでいます。札幌市の人口自体も増加を続け、郡部での過疎化のなか、ますます札幌圏への一極集中が進む傾向にあります。これからは、その一極集中への対策もさることながら、札幌圏に組み込まれた市町村がそれぞれに、ただ札幌によりかかるのではない特色ある開発方針を打ち出していく必要があるのではないでしょうか。
 さて、論文を書く際の基礎となる資料集めに終止符を打つ決心がようやくついたのは、既に
12月も半ばのことでした。そして予期せぬアクシデントもあって、実際に本論を書き始めたのは1999年もあと数日で終わるという時でした。その時から約1ヵ月、私の頭に常にあったのは、「いかにして“メモ”から抜け出すか」という1点でした。ただ羅列したメモのような文章から抜け出すことを目指し悪戦苦闘をする毎日でしたが、こうして出来あがったものを読み返すと、苦労の割には報われなかったとの感が拭えません。
 ですが、この卒論には、手持ちの資料から現在の私に判ることを可能な限り詰め込みました。その結果としての卒論ですから満足感はあります。確かに、書き進めていくうちに新たに出て来て解決できなかった課題や私のスキル不足から触れられなかったりした問題は、読み手にとっては不満な点であり、物足りない点であるでしょう。しかし私にとってそれは今後に向けての課題が見つかったと喜ぶべきものです。逆にいえば、その課題を見つけることが、卒論というか学問の目的である気さえします。私は、課題解決に向けて進んでいくことで人は成長すると考えます。私は、生涯を通して自分なりの課題を持ち、それを解決する意欲を持つことを大切にしたいと思います。そして、私がこの卒論を書くことによって出てきたいろいろな課題も、その中の1つとしてこれから大事にし、いつか解決していきたいと考えています。
 最後になりましたが、卒論の方向性を明確にする助言・指導を常にして下さった村田文江先生。根気強く冗長な私の発表に付き合い貴重な意見をくれた栗山丈弘さん、栗田直樹さん、渋谷渉さん、地山智美さん。私の愚痴を聞かされながらもアドバイスをくれた社会科教育研究室の後輩の滝野隆太さん、山本仁史さん、永山達郎さん、清水上政憲さん、鈴木直子さん。そして、これまでに私に関わりお世話になってきたたくさんの方々。この卒論は、これら全ての人達の協力なしには書きあげることが出来ませんでした。心より感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

 

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