第1章 膨張する札幌圏

第1節 「札幌圏」とは?
第2節 拡大する札幌圏

 札幌市は今や175万人都市となり、その周辺にいくつものベッドタウンが造成されている。これら札幌を中心としたエリアは一般的に札幌圏とされる。そして札幌の膨張に伴い、札幌圏も拡大してきた。第1章では、この北海道人口の4割近くが集中する札幌圏が、どのように形成されてきたのかを検証する。

第1節 「札幌圏」とは?

 一口に札幌圏といっても、その範囲について明確な定義が存在しているわけではない。そもそも都市の圏域、空間的な広がりの範囲は、多様で重層的な構造を持っている。それは、そこに生活する住民の活動範囲が多様であることに由来する。したがって、札幌圏の定義をするそれぞれの立場によって、またその時期によっても範囲は様々に変化し得るのである。ここでは、それら札幌圏の位置付けについていくつか例を挙げるとともに、本論における札幌圏の定義をおこなう。

(1)北海道開発計画における「札幌圏」

 自治体の開発計画における札幌圏の位置付けを見ていくにあたり、北海道全体から見た場合の札幌圏を確認するために、まずは北海道の策定した計画を検討してみる。中でも、道の立てた長期計画のうち、比較的新しい計画である北海道発展計画と北海道新長期総合計画の2つと札幌圏構想を計画した道都圏基本計画を見ていくこととする。

@北海道発展計画(19781987年度までの10年計画)
 具体的な「札幌圏」を特定した記述は無い。しかし全道的に地域住民の生活は多くの分野で札幌市の都市機能への依存度を強めていると指摘。このような傾向は札幌市の人口と産業の一層の集中と過密の弊害をもたらすことが憂慮されている。そして札幌市に集中しようとする諸機能は、出来るだけ周辺の市町村に誘導し、それぞれの機能分担に応じた分散配置に努めることが必要としている。

A北海道新長期総合計画(19881997年度までの10年計画)
 「札幌圏」としての叙述はないものの「道央複合都市圏」として札幌を中心に小樽、江別、千歳、苫小牧、室蘭がという北海道の経済や行政など中枢管理機能、工業の生産能力が集中した圏域が考えられている。そして「道央複合都市圏」に都市機能を集積させ、北海道の産業経済や科学技術をリードしていくことを企図。

B道都圏整備基本計画(19751995年の20年の想定期間)
 「道都圏」として札幌市を中心とした、およそ半径
40kmの範囲にある19市町村が対象とされている。なかでも、札幌市街地及びそれに連係する既に市街化された区域として、小樽市、江別市、恵庭市、それと広島町の一部を道都圏の中心既成市街地と位置付ける。将来の道都圏の機能分担を目的として、圏域内市町村の都市計画の上位計画として策定。

 このように北海道全体の開発計画においては、札幌圏自体の具体的範囲の特定はなされていないものの、道都圏というネーミングながら札幌圏域そのものを想定した計画も策定されている。ここでは20年後を想定したこともあって、19自治体という広い範囲を想定している。しかし、この時点で既に札幌圏に組み込まれた自治体の小樽市、江別市、恵庭市、広島町が中心既成市街区として明記されている。どの計画にも共通している認識は、札幌への一極集中の進む状況を踏まえて札幌周辺への機能分散をおこなっていくというものである。

 

(2)札幌市長期開発計画における「札幌圏」

 次に札幌圏の核たる札幌市自身が、札幌圏をどのようにとらえているか見るために、札幌市自身が立てた長期開発総合計画における札幌圏の想定範囲を検証する。その中で、第2次にあたる新札幌市長期総合計画と第3次札幌市長期総合計画(新札幌市長期総合計画と第3次札幌市長期総合計画の実施年次が重複しているが、札幌市長期総合計画においては、計画の目標年次に達する前に状況の変化に合わせて、新計画が策定される)をとりあげる。

@新札幌市長期総合計画(19761995年度までの20年計画)
 札幌市の周辺には、地域住民が日常生活を営むうえで札幌市と密接に関わりあっている地域が行政区域をこえて広がっており、計画の策定にあたっては、これら地域の発展方向を十分ふまえる必要がある。とした上で、計画の関連区域は札幌市と特に一体的な日常生活圏を形成する3市(小樽市・江別市・恵庭市)
4町(広島町・石狩町・当別町・南幌町)の地域を指定している。また、これら市町村に連なる2市(千歳市・岩見沢市)4町(長沼町・栗沢町・由仁町・栗山町)5村(月形村・北村・新篠津村・厚田村・浜益村)を第2次生活圏地域として設定する。

A第3次札幌市長期総合計画(19882005年度までの18年計画)
 「札幌都市圏」として、通勤・通学依存度、1時間以内の時間距離圏などをふまえ、札幌市と一体的な日常生活圏を構成している4市(小樽市・江別市・千歳市・恵庭市)4町(広島町・石狩町・当別町・南幌町)1村(厚田村)として設定している。また「札幌複合交流圏」として、札幌からおおむね
60q圏の範囲の6市(小樽市・江別市・千歳市・恵庭市・岩見沢市・苫小牧市)20町(広島町・石狩町・当別町・余市町・仁木町・倶知安町・喜茂別町・ニセコ町・京極町・南幌町・栗沢町・月形町・由仁町・長沼町・栗山町・追分町・早来町・虻田町・白老町・壮瞥町)9村(新篠津村・厚田村・浜益村・赤井川村・留寿都村・真狩村・北村・大滝村・洞爺村)としている。

 上記のように札幌市の構想としても、その計画の策定時期によって札幌圏の区域に違いがある。また、既に集中している札幌市中枢機能の一層の高度化を図ることや札幌圏域内の各市町村に産業を分担させていく計画が挙げられている。計画の全体としては、札幌への都市機能の集積を前提とした上で、周辺自治体への機能分担を行い、関係を緊密にして札幌圏により広い範囲を組み込んで発展させていこうとする意図が見られる。

 

(3)札幌市周辺自治体計画における「札幌圏」

 では札幌市周辺の自治体では札幌圏をどのようにとらえているのだろうか。ここでは、札幌に隣接する自治体の中から、第1章第2節で後述するように最も札幌のベッドタウンとしての期間が長い江別市及び、本論と最も関わりの深い恵庭市の開発計画を取り上げてみることにする。

@江別市新総合開発計画(19852004年度までの20年計画)及び、後期基本計画(19952004年度の10年計画)
 札幌圏域は、札幌市を中心に経済・行政・文化等の中枢管理機能を集積した北海道の先導的役割を果たしている圏域である。圏域では、新千歳空港関連プロジェクト、石狩湾新港事業、札幌地下鉄延長事業、
RTN計画、道央テクノポリス計画など大きな事業が進み、工業や人口などの集積度はますますその比重が高まっている。

A第2期恵庭市総合計画(19861995年度までの10年計画)及び、第3期恵庭市総合計画(19962005年度までの10年計画)
 具体的な範囲の指定は無いが、「道央圏の一翼を担う伸びざかりのまち」「道央都市圏を構成する一員としての認識にたち計画を策定」「恵庭市は、広大な北海道の中でも、道央圏という陽光のあたる恵まれた地域にあって」「道都圏の発展に伴い、また交通の要衝地として、とりわけ札幌と千歳空港の中間に位置する」「本市の位置する道都圏は、道都札幌・千歳空港・苫小牧工業港があり」などという記述がある。恵庭市は、道央圏もしくは道都圏として、かなり広い範囲を想定していると考えられる。

 札幌市周辺自治体の計画の中から、江別市と恵庭市という2市の総合計画を取り上げてみた。この2市を比べても、札幌圏の捉え方に違いがあることが分かる。具体的には、江別市ではRTN構想を掲げ、札幌市と千歳市そして江別市というトライアングルを中心に、比較的狭い札幌圏を想定している。一方、恵庭市では、千歳空港と札幌の中間に位置するという地理的条件をメインとしながらも、さらに太平洋(苫小牧港)と日本海(石狩湾新港)を結ぶ最短ライン上に位置しているとも述べられ、道都・札幌市のある道央地域の交通・流通の要所であることを強調し、江別市よりも広い圏域を想定して計画を立てている。
 もちろん、これ以外の自治体についてもそれぞれ札幌圏の認識に同様の違いが見られる。例えば、石狩町(当時)の「石狩町まちづくり計画(
19901994年度の5年計画)」では、札幌への通勤・通学依存度が高い地域を想定(札樽圏ともあり、石狩市、小樽市、江別市、当別町、厚田村など)しているし、逆に千歳市の「千歳市第4期総合計画(19912000年度までの10年計画)」では、苫小牧市・室蘭市・恵庭市・小樽市・石狩市・岩見沢市という道央の各都市が想定されている。

 

(4)本論における札幌圏の定義

 ここまで、自治体の作成したいくつかの開発計画においての札幌圏の記述を見てきた。そして、これら計画の札幌圏の定義をまとめたものが図表1−1である。ここからも確認できるように、札幌圏の認識・把握において、いくつもの異なった定義・解釈が存在する。
 さらに現在では全道人口の約
3分の1が集中する札幌市であり、札幌市の影響を受けている地域を札幌圏とするならば、北海道内においてその影響下に無いと断言できる地域を見つけるほうが難しい。また先述したように、都市の圏域は一口には定義できないものである。だが敢えて札幌圏の定義の多様さについて理由を挙げるとするならば、札幌市自体が歴史的に合併を繰り返し、その面積・人口を増加させてきたことを挙げたい。それに純粋な社会増・自然増による人口増加も含め、急激な札幌の膨張が起こり、現在も膨張が続いている。それによって札幌の影響下にある地域、すなわち札幌圏も常に変化・膨張してきたのである。
 とは言え、これから札幌圏について論じていくのには、まずはその範囲を明らかにする必要がある。そこで本論における札幌圏の定義をおこなう。そして、その視点として札幌圏の膨張と都市化の過程を人口動態から検証するのに適していると考えられる範囲を選択した。この視点に立って、札幌市周辺自治体の中でも近年における札幌市の急激な都市化とスプロール化の影響を強く受け、札幌市のベッドタウンとして急速な地域人口の増加を遂げた石狩管内の自治体を選定した。すなわち、江別市・恵庭市・千歳市・石狩市・北広島市の5市である。これら自治体は、札幌市のごく近距離に位置し、札幌市の人口の急膨張による影響を最も直接に受け、在来の地域形態を大きく変貌させてきた地域であり、検証をおこなうのに適していると判断した。次節では、この5市の戦後の人口動向から、具体的な検証を行っていく。

 

 

第2節 拡大する札幌圏

 高度経済成長期以降、全国的な人口の大都市圏への集中が進んだが、北海道においても1960年代以降、東京などの本州大都市圏への人口流出の一方で、図表1−2に示されるように、札幌を中心とする道央圏(ここでは札幌市と札幌圏に小樽市と苫小牧市を加えてある)への人口集中が進んだ。
 
1960年から1990年にかけて、道央圏が約2.3倍に人口を増加させた。その結果、道央圏の人口は全道の約20%であったものが40%以上を占めるようになった。逆に、郡部においては4割を占めていた人口が24%にまで低下している。また、道央圏以外の市部でも1980年から1990年にかけては郡部と同様に人口を減少させている。つまり道央圏のみが人口を増加させ、人口の一極集中の状況が作り出されていると言える。ここでは、その中でも特に札幌市及び札幌圏自治体の人口動態に着目し、分析を試みる。

 

(1)札幌市拡大の経緯

 札幌市は、入殖期から人口はもちろんだが、その広さも現在の面積であった訳ではない。図表1−3に示されるように周辺と合併を繰り返し、その都度、面積・人口が拡大されていった。入殖期には人口数百人だった札幌は、日本第5の規模を誇る都市となった。面積についても、明治4年の札幌創立当初は約5平方キロメートルだった札幌が、現在では約1,112平方キロメートルと増加している。
 とはいっても、札幌の人口・面積が急激に増加したのは第
2次大戦後のことであった。当時の周辺村落も、現在の札幌市域内の人口として加えて計算した札幌の人口推移表(図表1−4)で見られるとおりである。1945年の終戦時には約29万人だった人口が、10年後の1955年には約48万人、20年後の1965年には約82万人というハイペースで増加している。さらに1975年には約124万人、1985年には約154万人、1995年には約175万人と着実に増加し、札幌市の人口は50年間で約7倍に増加している。
 また、面積についても、
1945年当時では約76平方キロメートルだったが、戦後の琴似町・豊平町・手稲町などの合併により、50年間で約14倍(約1,112平方キロメートル)となった。こうして、札幌は人口・面積ともに膨張を続け、現在の“175万都市札幌”が形成されたのである。

 

(2)札幌の拡大と周辺自治体

 上で述べたように、札幌は特に第2次大戦後に人口・面積が急激な増加をみせた。この札幌の膨張は、周辺に位置する自治体にも大きな影響を与えることとなった。すなわち、周辺自治体の札幌のベッドタウン化である。そこで、図表1−5及び図表1−6から、周辺自治体が札幌圏に組み込まれていく過程を分析する。
 もともと高度成長期以前の
1945年から55年にかけては、戦後の復興期であって北海道の人口が全体として高い出生率による自然増、戦後開拓などによる本州からの転入からくる社会増ともに高い伸び(194550年の北海道の人口伸び率22%)を示した時期であった。それを踏まえた上で、札幌圏自治体を図表1−5図表1−6から大別すると、周辺自治体の人口増加は次の3つのパターンに分けて考えることができるだろう。@江別市、A石狩市・北広島市、B恵庭市・千歳市である。この3パターンに分けて、具体的な検討を以下で行っていくこととする。

@江別市
 江別市は、
図表1−6から見ると、札幌市に追随しつつほぼ並行した増加率の推移を示している。ただ、江別市が伸び率を1950年から1960年にかけて落としているなか、札幌市は戦後の復興期の人口増加後、そのまま高いペースでの人口増加が進んでいることが違いである。しかし、江別市がいったん伸びを落とした後の1960年から1965年には19%、1965年から1970年には43%と高い伸びを回復している。そして、その後は札幌市と同じような伸び率を示している。つまり江別市は、札幌の膨張の開始から少し遅く、1960年代から札幌のベッドタウン化が進み、札幌圏に組み込まれていったといえる。
 その中で、江別市は大学や短大の誘致を進めた。札幌圏に組み込まれていくなかで、文教都市という独自性を出そうとしたのである。そして、このことは学生が人口の中に占める比率が高いという効果以上に、ある現象を生み出した。札幌のベッドタウンという性質上、江別市は札幌への通勤による人口流出超過が非常に多いが、通学に限っては札幌からの流入超過となっているのである。
 また、
1990年から1995年にかけて全体的に人口の伸びが落ち着いてきている中で、19%という高い伸びを示している。これは1990年代に入り、江別市において新たな住宅団地造成や再開発がおこなわれていることから、再びかなりの人口増加が起こっていると考えられる。

A石狩市・北広島市
 この2市は、
1955年以降に人口伸び率がマイナスになりながら、後に一転して人口が急増する。戦後の人口増の後に人口が減少していくという流れは、図表1−2に関連して前述したように、北海道の郡部における人口推移と同じ現象である。もともとこの2市は、純漁村・純農村であり、このような人口減少が起きるのは当然の流れとも言えた。しかし他の郡部とは異なり、その後に人口増に転じたのは、この2市が札幌市に隣接していたためであった。
 石狩市は
1955年から1965年にかけて、北広島市は1955年から1960年にかけて人口を減少させている。ところが1965年から1970年にかけては、2市ともに20%以上の増に転じた。さらに1970年から1975年にかけては北広島市が、1975年から1980年にかけては石狩市が、それぞれ5年間で100%を超す、つまり2倍以上になる急激な伸びを見せた。その後も伸び率は落ち着いたものの、2市ともに一貫して5000人程度の人口増を続けている。
 このことは、この2市が
1970年代から、まさに典型的なベッドタウンとして札幌圏に組み込まれた事を示している。ベッドタウン化は江別市よりも遅れてはいるが、もともとの地域形体(農漁村)が完全に変化した事と5年間で100%を超える急激な人口増が起こったという面から見れば、この2市の方がより札幌のベッドタウンとしての性格が強く出ていると言える。

B恵庭市・千歳市
 この2市は、
1950年代前半に急激な人口の伸びを見せ、その後は全期間を通じ相対的に穏やかな人口増を継続してきた。これは、これまでの3市とはかなり異なった動きであり、1960年代以降に札幌の人口増の続く形の急激な人口増も見当たらないことから、一見して札幌のベッドタウンかどうかを特定することは難しい。
 この恵庭市と千歳市について分析する上では、歴史的にも、現状でも自衛隊の存在を抜きには語ることはできない。そして、
1950年代前半は、自衛隊の前身の警察予備隊・保安隊の基地や部隊が両市に設置・駐屯を始めた時期である。従って、この2市の1950年から1955年の人口の急激な増加は、自衛隊員の配備状況が大きく影響していると考えられる。この2市では札幌市の膨張による影響よりも先に、自衛隊による影響を受け、その人口を増加させていたと考えられるのである。

 では、この両市は札幌の膨張の影響は受けていないのだろうか。確かに2市の人口は、1955年以降、10%前後の急激ではないが着実な人口増加を継続させている。しかし、注目すべきは1980年代以降の恵庭市の動向である。札幌圏の人口増加は1980年代に入ると、明らかに全体として沈静化してくる。そんな中で、恵庭市は1980年代に伸び率を増やしてきている。このことから恵庭市が、北広島市、石狩市に続いて札幌圏域のベッドタウン化への傾斜を強めつつあると言える。
 一方、千歳市は伸び率から見ると、恵庭市のような傾向も見えない。ただし千歳市には、別の観点から札幌との関わりがある。それは千歳市が、空港があるというロケーションの良さから、近年北海道で最も企業立地が進んでいる地域となっていることに由来する。そして、それら企業が札幌との関わりに影響を及ぼしている事とは、通勤の流出人口に対してである。江別市の所で少し触れたが、札幌市と札幌圏自治体と間の通勤による流出人口の比率は、圧倒的に札幌への流出超過である。ところが唯一、千歳市のみが札幌市に対して流入超過であり、他のどの札幌圏自治体に対しても流入超過である。つまり、千歳市が札幌圏内でもう一つの通勤圏域を形成しつつあるということである。
 とはいえ、千歳市が札幌市の膨張に全く影響を受けていないとは言いがたい。そもそも空港自体が札幌市に近いという理由で発展してきたものであるし、空港に隣接する工業団地も札幌市近郊という立地条件のもと誘致されてきた。現に、それら工場の名称にも“札幌工場”と銘打たれているものが多い。さらに
1990年代半ばからは、千歳市北部地域に住宅団地が造成され始めた。これは千歳市内の工業団地や自衛隊員だけでなく、札幌への通勤者もターゲットにしたものであり、ベッドタウン化の波の兆しが見え始めた格好でもある。
 結論としては、この恵庭市と千歳市でも札幌のベッドタウン化が進んでいる。ただ、既に人口が増加していた両市では、他の自治体よりもドラスティックな人口伸び率を示していないのである。しかし、札幌の影響を受けつつも千歳市が単なるベッドタウンとしてだけでない発展をしていることも、また確かであるといえる。

 このように札幌圏自治体を人口増加の動態から、3つのパターンに区別し分析を試みた。しかし、この5自治体は、札幌圏域の通勤圏に組み込まれる時期の相違だけではなく、歴史的経緯の違いから、それぞれ異なった性格を持っていることも確かである。そこで、人口伸び率という観点にしぼって、もう一度整理をしてみたいと思う。
 まず
1945年から1950年にかけては、戦後の復興期でもあり全道的に人口伸び率が高い。次に1950年から1955年にかけては、自衛隊の基地設置や部隊駐屯などにより、恵庭市と千歳市の伸びが顕著である。1955年から1965年にかけては、戦後の人口増が落ち着き全体に伸びが落ち込む中、札幌市の伸びが続いている。1965年から1970年にかけては、江別市の伸びが大きい。1970年から1975年には北広島市で、1975年から1980年には石狩市で100%以上という大幅な伸びをみせる。1980年以降は、全体の伸びが落ち着く中で、恵庭市の伸び率が増加しているのが目立つ。つまり、これら札幌圏自治体が札幌通勤圏に組み込まれたのは、おそらくそれぞれにおける急激な人口増の時期だと考えられる。

 

(3)札幌圏内の住宅団地造成と人口増加

 (2)において、札幌圏自治体の人口動態から、それぞれが札幌圏に組み込まれていった時期を探ってみた。ここでは、それに実際の住宅団地造成を照らし合わせて考えてみる。つまり、ベッドタウンが出来た時期を提示することによって、人口増加の直接の要因を検証する作業をおこなう。そのための参考として、図表1−7を作成した。これは、札幌圏における主要なベッドタウンを造成開始時期の順に並べたものである。
 これを見ると、札幌圏自治体の急激な人口増加との関わりがはっきりと認められる。具体的には、
1965年から1970年における江別市の43%増と道営大麻団地(1965年起工)との関係。1970年から1975年における北広島市の123%増と道営北広島団地(1970年起工)。1975年から1980年における石狩市の107%増と花畔団地(1971年起工)。そして、1980年代の恵庭市の13%〜15%増と恵み野(1980年分譲開始)という具合である。さらに、1990年から1995年においての江別市の19%も見晴台・いづみ野などの住宅団地造成が要因としてあげられる。そして、これら団地の目的が札幌に集中する人口の住宅機能の分担受け持ちにあることから、周辺自治体の札幌圏への組み込みがここから始まったことが改めて確認できる。
 第1章では、札幌の膨張とそれに伴う札幌圏の拡大について見てきた。札幌周辺自治体がベッドタウン化していく中で、概ね江別市、北広島市、石狩市、恵庭市という順序を追って札幌圏に組み込まれてきたことが確認できた。また千歳市については札幌圏の中に組み込まれつつも、新たな圏域を形成しつつあることが見えてきた。
 第2章では、これら札幌圏域内自治体の中から、本論のテーマである恵み野が造成された恵庭市のあゆみに焦点をあてる。恵庭市は元来、農業を産業の主幹とする純農村であった。それが第2次大戦後に、大きくしかも急激に地域形体を変貌させてきたのである。現在では、“基地のマチ”であり“札幌のベッドタウン”にもなった恵庭市が札幌圏に組み込まれていくまでの過程と、恵み野開発に至るまでの様子を追っていく。

 

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